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■京都部落史研究所報目次 | |||
■こぺる目次 | |||
■京都部落史研究所報(復刊号)目次 | |||
■京都部落史研究所紀要目次 | |||
■『京都の部落史』第1巻・第2巻目次 | |||
1号(1978年1月) | ||
京都部落史研究所の発足に当って | 師岡 佑行 | |
京都部落史研究所に期待する | ||
京都の歴史の見直しを | 船橋 求己 | |
甦る戦中の想い出 | 山中 末治 | |
歴史のやみに光を | 吉田 明 | |
研究所設立までの経過 | ||
所員紹介 | ||
編集ニュース | ||
資料・「京都における部落の歴史」編纂趣意書 | ||
2号(1978年2月) | ||
一イギリス人の見た一九五〇年・舞鶴の被差別部落 | 師岡 佑行 | |
井上清氏にきく 部落問題と私の出会い | ||
編集ニュース | ||
京都部落史研究所に期待する 全国的広がりを | 羽室 清 | |
3号(1978年3月) | ||
園部町の部落をたずねて さまざまなその成り立ち | 師岡 佑行 | |
編集ニュース | ||
奈良本辰也氏にきく 初期の部落問題研究所 | ||
4号(1978年4月) | ||
盛田嘉徳著『河原巻物』 紙背にひそむ歴史の事実 | 横井 清 | |
堀口牧子著『現代日本の差別意識』 新たな差別意識論への問題提起 | 藤田 敬一 | |
編集ニュース | ||
5号(1978年5月) | ||
京都市社会部の調査と部落問題関係資料について( 1 ) | 秋定 嘉和 | |
荻野家本「雑色要録」 松村家本との異同について | 源城 政好 | |
6号(1978年6月) | ||
アフリカとフランスから来た友人たち | 師岡 佑行 | |
京都市社会部の調査と部落問題関係資料について( 2 ) | 秋定 嘉和 | |
7号(1978年7月) | ||
絵馬と田中車連中 | 師岡 佑行 | |
京都市社会部の調査と部落問題関係資料について( 3 ) | 秋定 嘉和 | |
編集ニュース | ||
8号(1978年8月) | ||
路面電車と車夫の抵抗―市電廃止によせて― | 長尾眞砂子 | |
京都市社会部の調査と部落問題関係資料について( 4 ) | 秋定 嘉和 | |
9号(1978年9月) | ||
長田部落と一本の金棒 | 師岡 佑行 | |
京都市社会部の調査と部落問題関係資料について( 5 ) | 秋定 嘉和 | |
10号(1978年10月) | ||
遠い旅、尽きせぬ興趣―阿部謹也著『中世を旅する人びと』にふれて― | 横井 清 | |
京都市編入町村引継書類について( 1 ) 明治中期から大正の部落の姿 | 山本 尚友 | |
11号(1978年11月) | ||
大塩の乱と京都 | 師岡 佑行 | |
京都市編入町村引継書類について( 2 ) 野口村分村と上品蓮台寺の反対 | 山本 尚友 | |
12号(1978年12月) | ||
近世京都における最底辺の生活( 1 )―中島棕隠『都繁昌記』から― | 師岡 佑行 | |
京都市編入町村引継書類について( 3 ) 田中夜学校と部落改善運動家 | 山本 尚友 | |
13号(1979年1月) | ||
『諸式留帳』にみる千本野口と蓮台野村 | 辻 ミチ子 | |
近世京都における最底辺の生活( 2 )―中島棕隠『都繁昌記』から― | 師岡 佑行 | |
14号(1979年2月) | ||
近世京都における最底辺の生活( 3 )―中島棕隠『都繁昌記』から― | 師岡 佑行 | |
京都市の同和行政文書( 1 ) 六十二点の簿冊を収集 | 山本 尚友 | |
15号(1979年3月) | ||
変りつつある部落 「京都の被差別部落」取材ノートから | 土方 鉄 | |
京都市の同和行政文書( 2 ) 運動、占領軍関係の資料も | 山本 尚友 | |
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16号(1979年4月) | ||
『福知山市史 史料編一』所収「堀村代々庄屋記録」について(上) | 師岡 佑行 | |
(紹介)解放運動の中で文化への取組みすすむ | ||
17号(1979年5月) | ||
『福知山市史 史料編一』所収「堀村代々庄屋記録」について(下) | 師岡 佑行 | |
18号(1979年6月) | ||
京都柳原と部落改善運動( 1 ) 経済の衰微と進取会の結成 | 白石 正明 | |
京都市の同和行政文書( 3 ) 他都市同和事業調査書類 | 山本 尚友 | |
19号(1979年7月) | ||
京都柳原と部落改善運動( 2 ) 進取会の衰退と森秀次差別事件 | 白石 正明 | |
20号(1979年8月) | ||
京都柳原と部落改善運動( 3 ) 森秀次差別事件と大日本同胞融和会 | 白石 正明 | |
21号(1979年9月) | ||
横井清著『東山文化 その背景と基層』 文化の担い手に光を | 源城 政好 | |
成果のあった丹後調査 文献史料収集についての報告 | 山本 尚友 | |
22号(1979年10月) | ||
出作、小作とリョウブ、ミノコ( 1 )―丹波木崎での聞書― | 師岡 佑行 | |
23号(1979年11月) | ||
丹後調査報告1 はじめに―貧困の中での差別 | 堀口 牧子 | |
丹後調査報告2 国分―牛の角はお西さんへ | 長尾眞砂子 | |
追悼・松崎武俊氏 ひとつの宿題 | 師岡 佑行 | |
24号(1979年12月) | ||
丹後調査報告3 杉の末―水平社が精神的支柱に | 長尾眞砂子 堀口牧子 | |
25号(1980年1月) | ||
丹後調査報告4 上司―航空隊が土地を奪った | 灘本 昌久 | |
丹後調査報告5 日置―子守りと先生 | 師岡 佑行 | |
丹後調査報告6 算所―宮津藩最大の部落 | 山本 尚友 | |
26号(1980年2月) | ||
丹後調査報告6―史料紹介「屠者由緒記」について | 源城 政好 | |
27号(1980年3月) | ||
丹後調査報告7 大島―働き助けあった村 | 白石 正明 | |
28号(1980年4月) | ||
清水紫琴と「移民学園」( 1 ) 明治二〇年代、女流民権家として登場 | 長尾眞砂子 | |
29号(1980年5月) | ||
清水紫琴と「移民学園」( 2 ) 柳原部落訪問は外的要因 | 長尾眞砂子 | |
東本願寺塔頭金福寺について(上) | 山本 尚友 | |
30号(1980年6月) | ||
「模範」的融和教育の一例 八幡尋常小分教場の誕生と解体 | 白石 正明 | |
31号(1980年7月) | ||
清水紫琴と「移民学園」( 3 ) 部落とは切り結ばなかった紫琴 | 長尾眞砂子 | |
32号(1980年8月) | ||
東本願寺塔頭金福寺について(下) | 山本 尚友 | |
33号(1980年9月) | ||
上田静一と田中親友夜学校( 1 ) 部落の動きと呼応して夜学創設 | 白石 正明 | |
34号(1980年10月) | ||
上田静一と田中親友夜学校( 2 ) 夜学の危機と帝国公道会への接近 | 白石 正明 | |
35五号(1980年11月) | ||
上田静一と田中親友夜学校( 3 ) 自ら先頭に北海道へ移住 | 白石 正明 | |
36号(1980年12月) | ||
協同夜学校の設立について | 中島智枝子 | |
37号(1981年1月) | ||
近世八幡志水東村の商業活動と七人株のいわれ | 師岡 佑行 | |
38号(1981年2月) | ||
寺院と僧侶 その教育とのかかわり | 山本 尚友 | |
39号(1981年3月) | ||
天明年間伏見騒動にみる身分引上げの問題 歴史におけるパラドックス | 師岡 佑行 | |
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40号(1981年4月) | ||
高松差別裁判糾弾闘争をめぐる香川現地の動きについて | 灘本 昌久 | |
41号(1981年5月) | ||
笠置の部落を尋ねて(上) | 小林 静子 | |
42号(1981年6月) | ||
笠置の部落を尋ねて(下) | 小林 静子 | |
史料調査報告 八幡市 | 灘本 昌久 | |
43号(1981年7月) | ||
京都田中部落と米騒動 | 長尾眞砂子 | |
44号(1981年8月) | ||
書評・小林茂編『近世被差別部落関係法令集』総合的把握への一里程 | 中尾 健次 | |
史料調査報告 田辺町(綴喜郡) | 灘本 昌久 | |
45号(1981年9月) | ||
京都府と明治四年賎民制廃止令 | 上杉 聡 | |
46号(1981年10月) | ||
京都における自由民権運動と部落 | 師岡 佑行 | |
史料調査報告 亀岡市1 | ||
47号(1981年11月) | ||
伊東茂光と水平社運動 | 八箇 亮仁 | |
48号(1981年12月) | ||
春日社の神鹿と被差別部落 『松操録』に見る犬追御用人足 | 源城 政好 | |
49号(1982年1月) | ||
〈史料紹介〉洛中洛外図に見える河原者村について | 源城 政好 | |
江口三省小論( 1 ) | 白石 正明 | |
50号(1982年2月) | ||
神鹿殺害の処置をめぐって―近世初期の一事例― | 東 義和 | |
京都部落史研究所報1〜50号総目録 | ||
51号(1982年3月) | ||
京都府下明治中期革製造業の状態について | 大串 夏身 | |
江口三省小論( 2 ) | 白石 正明 | |
52号(1982年4月) | ||
江口三省小論( 3 ) | 白石 正明 | |
53号(1982年5月) | ||
『部落史研究文献目録』の編集をおえて | 山本 尚友 | |
54号(1982年6月) | ||
改姓問題をめぐる徴兵拒否の闘い―太平洋戦争下の差別糾弾― | 灘本 昌久 | |
55号(1982年7月) | ||
大徳寺の葬儀と蓮台野 | 田良島 哲 | |
史料調査報告 亀岡市2 | 灘本 昌久 | |
56号(1982年8月) | ||
《研究ノート》寺院史料にみる部落の成立(上) | 山本 尚友 | |
57号(1982年9月) | ||
《研究ノート》寺院史料にみる部落の成立(下) | 山本 尚友 | |
58号(1982年10月) | ||
新撰組隊士になりそこねた男(上) | 布引 敏雄 | |
59号(1982年11月) | ||
新撰組隊士になりそこねた男(下) | 布引 敏雄 | |
史料調査報告 福知山市 | 灘本 昌久 | |
60号(1982年12月) | ||
綾部調査雑感 | 師岡 佑行 | |
61号(1983年1月) | ||
笠置町調査報告 有市の教育と子どもの生活 | 八箇 亮仁 | |
部落の心―木村修さん御遺族からの御寄付によせて | 師岡 佑行 | |
62号(1983年2月) | ||
笠置町調査報告1 有市の教育と子どもの生活(下) | 八箇 亮仁 | |
笠置町調査報告2 山仕事から土木へ | 小林 静子 | |
63号(1983年3月) | ||
笠置町調査報告3 水平運動と差別糾弾闘争(上) | 長尾眞砂子 | |
64号(1983年4月) | ||
笠置町調査報告3 水平運動と差別糾弾闘争(下) | 長尾眞砂子 | |
わが研究所への不当な批難に対して声明を発表 | 師岡 佑行 | |
〈資料〉京都部落史研究所規約 | ||
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