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Memento 5号(2001年7月25日発刊)
読み物


「部落は顔でわかる」!? 同和・人権教育の総合学習は啓蒙主義を超えられるか
灘 本 昌 久

総合学習のはじまり
最近、総合学習(あるいは総合的学習)という言葉をよく耳にする。『現代用語の基礎知識』(2001年版)によれば、次のように解説してある。「教科の枠をこえ特定の主題にそって総合的に学習を組織する教育課程・方法。具体的な課題や体験に即して調査や討論などの探求的な活動を発展させ、暗記中心の知育とは異なる生徒の生活や興味に根ざした学習を行うことができる。…」この総合学習が、現在、小学校で週3時間程度、中学校で週2時間程度導入されつつあり、高校でも2003年度の1年生から実施されることになっている。そして、この総合学習の中で、平和教育や環境教育とならんで、同和教育(人権教育)を行なおうという動きがある。

ともすれば、一方的な正解の押し付けに陥りがちな同和教育のありかたを反省し、生徒自らが主体的に人権・差別問題を考え、教師も生徒の疑問に正面から答えていこうというなら、充分に意味がある。しかし、それは、言うは易く行なうは難しだ。

私も大学で同和教育を担当し、学生に自由闊達に議論し、自分なりの問題関心をもってもらおうと努力しているのだが、なかなか急所を突いたレポートが出てこない。あるいは、討論しても思い切った議論にならない。もちろん、私の教育技量に問題がある点は認めるが、最大の壁は、人権教育の啓蒙主義=正解注入主義が、学生に染み付いていることである。長いあいだ人権をめぐる「正解」の山に取り囲まれていると、自分なりに疑問を掘り下げて、納得できる答を見出すという道筋をとることができず、先生の教えてくれる正解を消化不良のまま飲み込む癖がついてしまっているようである。
一問一答式入門書の害悪
この30年来、数々の一問一答式の部落問題の入門書を目にしてきているが、私自身納得できないようなものが多く、まして、それでは一般の人たちを説得できようはずがない。

たとえば、同和問題をめぐる疑問として、同和関係の公共料金(家賃や浴場)が安いということがよくいわれる。こうした政策を、一問一答式の入門書は、多くの言葉を費やして擁護している。いわく、同和地区の貧困は差別の結果生まれたものであって、その差別を解消するための低家賃であり、ただの低家賃政策ではない。闘いの結果得られた低家賃政策であって、自ら行政と闘っていない一般の人が同じことを要求するのはおかしい、等々。しかし、たとえば、京都市内の同和住宅が建てられたのは、いまだ多くの部落住民が失対労働(日当が240円であったところから、ニコヨンの俗称が生まれた)で貧しかった時期である。それでも、日当の3日分くらいは家賃に払うべきだろう、貧しくともそれが人間としてのプライドだ、として決まったのが月額800円という家賃であった。当時としては、かなりの負担だったと思う。ところがその後、高度経済成長の時期をくぐり、30年以上を経て地区の生活が相当向上したにもかかわらず、家賃徴収の事務費にも足りない低額に据え置かれてきたのは問題で、当初の精神でいえば、2万や3万の家賃を払っていてもおかしくなかったわけである。それが、いつの間にか、安ければ安いほど良い、おいしいことはいいことだ、といった無節操な同和政策になったことは、その後の差別解消に、マイナスに作用した。

しかし、私の知る同和教育や、大人向けの社会同和教育の場では、多くの場合、今いったような批判は、同和問題への無理解として片付けられてきたように思う。そういう、正解の一方的な押し付けが、総合学習の中で繰り返されるのであれば、仏を作って魂入れずといわなくてはならない。もちろん、同和事業がおおむね終結する事態を迎えて、いまさら低料金を問題にする気遣いはないだろうけれども、差別問題に正面から答える気構えが教えるほうになければ、新たな人権教育も、正解注入式の教育に陥ってしまう危険性は多いにある。
難問を受けて立つ
人権・差別に関連して、生徒に聞かれても答に窮する難問が数々ある。たとえば、昔よくあった言説に「部落は顔でわかる」というのがある。正解注入型の同和教育では、正解・不正解どころか、設問自体が差別発言として学校中大騒ぎになりかねないところである。しかし、本当に間違いか? 

この問題については、昔懐かしい思い出がある。学生時代、大学の近くの部落解放同盟の支部で活動していたときに、「部落は顔でわかるか?」について、青年部で話題になったことがあるのだ。そして、10人ほどいた青年部全員が、「顔でわかる」と言い出したのである。そんなはずないと言い張ったのは、私1人だった。がんばる私に、青年たちはさも自慢げな面持ちで、わからないのは素人だと言わんばかりに、「わかる」と言って譲らないのだ。

今にして思えば、どちらが一概に正しいともいえない。私がいうのは、駅のプラットホームにたくさんの人がいて、その中に数人の部落出身者が、ある人はネクタイをして、ある人はセーターにジーパンをはいて混じっていたら、全員を指摘できるか。それはできないでしょう、ということである。

しかし、理屈ではそのように否定してみても、青年たちの言うように、部落にはよその人とは違ったある種の特徴、あるいは空気があったことは間違いない。たとえば、東京で狭山裁判の集会などがあって、バスで東京に行くあいだ、高速道路のサービスエリアで集会参加者に遭遇したときに、労働組合などのグループと部落解放同盟の一行とは、あきらかに雰囲気が違う。部落の集団は、若い人は、ヤンキー風のパンチパーマをかけて、肩で風を切って歩いていたり、おっちゃんおばちゃんたちは肉体労働者が多いせいか顔は黒いし、メガネをかけている人は少ない。おまけに、その集団が大声でしゃべったり、下品な冗談を飛ばしたりするもんだから、はた目にはそうとう浮き上がっているのである。というような実態が、青年たちをして「部落は顔でわかる」といわしめたものだったのだろう。(なお今は、部落の青年の風俗はまったく変わってしまい、一般の青少年に溶け込んでしまっている。私の知る京都に限っていえば、「部落は顔ではわからない」という状態である。部落解放センターに出入りする部落の10、20歳代の若い人の表情が、曇りなく明るいのを見て、私はこの30年間の部落と部落をとりまく状況の変化を痛感する。)
抑圧でなく納得を
青年たちが、こうした体験の中で「部落民は顔でわかる」と思っているのだから、世間も「部落は顔でわかる」と考えて不思議はない。それを、「部落は顔でわかる」というのは差別です、と教えたところで、何の説得力があるだろうか。そこで考えるべきは、どうして顔でわかると感じるかということであり、また見た目が違っている原因をなるほどと納得できるだけの説明ができるかということである。たとえ「部落は顔でわかる」という結論であっても、「う〜ん、なるほど」といえるだけの説得力があれば、差別をなくす役には立つ、と私は思う。それとは逆に、充分説明できないことへの無力感や恐怖感から、教える側が生徒たちの素朴な疑問を抑圧したら、彼らは、差別問題について考えることをやめてしまうだろう。かなり教える側の力量を問われるわけである。

ちなみに「…顔でわかる?」について、正面から答えようとする試みは、私が活字で見て知るかぎり、西元宗助氏(京都における同和教育の先覚者)の『被差別部落と教育と宗教』(広池学園出版部、1985年、61-63頁)で、わずかになされているにすぎない。氏は、「もし、部落外の人は人相がよくて、同和地区の人は人相が悪いと、こういうのであれば、それは、はななだしき差別偏見であります。だけど、もし、同和地区に人相の険しい人が比較的多いとおっしゃるのであれば、遺憾ながら、それは、あるいはそのような場合があるかも知れぬと思うのであります。」としたうえで、自分のシベリア抑留体験を語り、酷い圧迫が人間の表情を険しいものにすると述べておられる。答の是非はここではおくとしても、違いの存在をみとめ、それに理解可能な説明をしようとされている熱意は伝わってくる。

最近の同和教育では、部落と部落外は違っていないということを強調しがちであるが、実際には、さまざまな歴史的経過から、違いは存在するのである。最近でこそ、テレビなどのマスコミュニケーションの発達で、日本中が均質化されているけれども、一昔前までは、部落の言葉が近隣の一般地区とは違っていることがよくあったし、相続の習慣や宗教の違いなど、部落外から違った目で見られる実態は、多方面にわたる。そうしたことに目をつぶるのではなく、合理的説明に努力することが重要である。

ただし、聞く側の腑に落ちるような説明をするのは、なかなか至難のわざである。教える側に、相当の勉強と人間に対する深い理解が必要だろう。私自身、そんなものをいかほども持ち合わせていないので、以上のような問題提起をしてはみるものの、実際にはその困難さに立ちどまってしまう。しかし、総合学習としての人権教育を取り組むつもりならば、従来の悪しき啓蒙主義から脱却しなくてはならない。それができなければ、総合学習に乗り出す意味はない。

教科書(2002年度版)における部落問題記述について
外 川 正 明

現在、来年度から使用される教科書の採択に向けて各地で公開展示が行われています。今回の教科書、特に社会科教科書の改訂をめぐっては、日本の戦争責任やアジア諸国への侵略の事実をどのように記述しているかをめぐり、検定制度も含めて、今までないほどの大きな問題となっています。さらには、こうした中で、各地の教育委員会がどのような観点からどの教科書を採択するかをめぐっても重大な局面にあります。

本論では、このことについて直接ふれるわけではありませんが、今回の改訂された教科書における部落問題の記述について、主に「部落の起源」にかかわる近年の部落史研究の深まりが教科書の記述にどのように反映されているのかを検討することにします。なお、小学校での歴史学習を扱う6年社会科の教科書は、今回ほとんど変更がありません。というより、実は既に前回の2000年の改訂で、大きく変更されていました。その変更点については、拙著(『部落史に学ぶ』,解放出版社刊,2001年)で詳しくふれていますので、それを参照していただくことにして、ここでは、中学校社会科歴史分野の教科書について見てみることにします。また、本稿では現在公開中の8社の見本本の記述を参考にしたことをお断りしておきます。
中世被差別民とけがれ
まず、中世の被差別民の存在についてですが、従来より、「河原者」と呼ばれた人々が「身分差別」を受けていたことが、3社の教科書に記述されていました。今回の改訂では、記述量の多少はあっても8社全ての教科書が、差別を受けながら庭づくりや芸能を発展させてきたことを記述しています。 中には、「けがれと河原者」というコラムを設け、以下のように記述している教科書もあります。「現在は、よごれることをけがれといいますが、むかしは天変地異・死・病気・火事・犯罪などをけがれといいました。平安時代から、けがれをおそれる観念が強まりました。そのため、けがれを清める力をもつ人々を必要としましたが、同時にそれらの人々を異質な存在として差別しました。河原者とよばれた人々は、死んだ牛馬から皮を取ってなめすことや、井戸掘り・庭園づくりなどを手がけていたため、差別されました。これらは、必要な仕事でありながら、死や大地にかかわるためにおそれられたのです。河原者からは『天下第一』と賞賛された善阿弥をはじめとして、庭園づくりの名手がでましたが、それとても、差別されたのです。」と「けがれ」の解釈も含め、かなり詳細に記述しています。

「けがれ」そのものを取り上げて記述しているのはこの1社ですが、中世における差別の有り様とその意味を、教育の場でどのように学習として展開していくのか大きな課題となります。
近世の身分制と被差別民
次に、部落史の見直しにかかわる中心部分である「近世政治起源説」にかかわる部分を見てみましょう。従来、ほとんど全ての教科書が「身分制度」あるいは、「士と農工商」とタイトルをあげ、「幕府は、士・農工商の身分の下にえた・ひにんという身分をおいた」「民衆を分裂させて支配」「不満をそらす役割」など、民衆分断支配のための被差別身分の設置という観点から記述されていました。

しかし、今回の改訂では、「農民・町人以下の身分とされたのが、えた・ひにんである。」「えた・ひにんなどのきびしく差別されてきた身分の人々もいました。」「『えた』や『ひにん』などとよばれる身分がありました。」あるいは、「低い身分とみなされました。」と記述されています。従来通り「おいた」と記述しているのも3社ありますが、多くが「幕府がおく」という記述を削除しています。また、「士農工商」という身分序列を記述しているのは2社、目的を分裂支配と記述しているのは4社に限られ、6社は、「社会や文化への貢献」という観点から被差別民の仕事をこれまでより詳述するようになっています。

こうした記述の変更から、次の三点が特徴としてあげられることに気づきます。

第一は、「身分の設置」あるいは、「身分の創出」と受け止められる言葉を避けて、客観的に「存在した」と記述するようになったことです。

第二に、従来の「士農工商穢多非人」という身分序列は真実なのかという研究からの疑問の提起が反映され、すでに述べたように、6社はこの身分序列を記してはいませんし、4社が「農民」を「百姓」に変更しています。

第三に、被差別民の生業を記すことで、「差別=貧困」という考え方に陥らないように記述している出版社が多く見られるということです。

これらは、「分裂支配のため、身分をつくり、貧しい生活を強いた」といういわゆる「近世政治起源説」を構成していた3つの要素に対する近年の部落史研究からの疑義の提起が大きく反映されているといえるでしょう。ただ、連続面や非連続面を含めた中世の差別との関連について述べていないため、多くの教科書が、「部落の起源」について明言することを避けた記述となっているといえるでしょう。
部落史を学ぶ意味の再確認を
この他にも、近世後期、明治期、大正期、そして現代と教科書には、それぞれ部落問題についての記述がなされているわけですが、紙数が尽きてきましたので、本稿ではふれることができないことをお許しください。

さて、「近世政治起源説」が多くの研究者によって否定されている今日、それを反映して教科書の記述も変更されてきていることを述べてきたわけですが、ここで私は、以下の二点について述べておきたいと思います。

第一に、部落問題が教科書に記述されているということは、同和教育にとってたいへん大きな意義を持っているということです。1974年に初めて教科書に記述されて以来、実際はどうであれ、全国全ての学校で、全ての子どもたちが部落問題について学ぶ機会が保障された。つまり部落問題が学習すべき必須の内容として認知されたということです。その意味では、教科書が部落問題をどのように記述しているかに対して、私たちは厳しい目を向けていかなければなりません。現に今回の改訂では、渋染一揆にも、米騒動にもいっさいふれず、水平社についてもほんの僅かしか記述しないといった民衆の運動を徹底して記述しないという姿勢を示した教科書もあります。

第二に、しかし、もとより私たちは、「教科書を教える」のではありませんし、教科書記述のみで授業を進めるわけでもありません。同時に、教科書に書かれていることがすべてでもありません。「教科書ははっきり書いてくれない」とか「不充分だ」という批判は、批判としても、「教科書に全てを求める」姿勢は、教育における主体性とは無縁のものでしょう。問題は、私たちが教科書の記述を手かがりに、何をどのように子どもたちに教えていくのかを考える教育の立場としての姿勢の確立にあります。

教育は、研究の成果を平易にして教えればよいというものでは決してありません。部落史を通して子どもたちと何を学び合っていくのかという部落史学習の目的を再確認することから、研究の成果に学び、教科書記述を吟味し、具体的な教育実践として展開することが、教育に求められていると思います。

映画紹介 「JSA」
金 東 秀

数十年(十数年ではない)来、多数の国民が飢えているのに、外国に援助を乞う以外何もできない指導者と、権謀術数をつくして権力の座についた後は、国民の利益より個人の栄誉をと行動し、某平和賞を獲得した大統領との会談があった昨年(2000年)、韓国では、映画『JSA』(パク・チャヌク監督)が、空前のヒットをしたという。『JSA』は、観客動員数で『シュリ』を超えたとの謳い文句で、この5月から日本でも公開された。

映画などというものは、休日の前夜にレンタルビデオを借りて観るという久しい習慣があったが、人に薦められて昨秋、『スペースカーボーイ』を映画館で観たところ、たいへん面白かった。それ以来、話の種にもなることであるし、話題の映画はなるだけ劇場で観るようにしている。そんなわけで、『JSA』を観にいったが、『シュリ』とは違いこれはなかなかいい映画だった。

話の概要はこういうものだ。南北朝鮮の軍事境界線上にある共同警備区域(JSA=通称「板門店」)で起きた南北兵士による殺傷事件の捜査に、中立国監督委員会のスイス軍女性将校で、韓国人の父親をもつソフィーが派遣される。互いに食い違う南北の兵士の陳述。捜査の過程で浮かび挙がって来たのは、歩哨所に詰めていた南北兵士の親密な交流の事実だった……。

たしかに、北朝鮮の兵士が韓国兵より太っているのはどうみてもおかしいし、北の兵士が食用ではなく、愛玩のために犬を飼っているという設定には、いささかの違和感もある。しかし、それはそれ、映画である。フィクションである。そう考えれば、話についていけないわけではない。

それにしても、板門店にしろ、北の兵士にしろ、いっときの韓国側の描写に顕著だった、荒唐無稽さというものがなかった。つまり、画面が白けるということがなく、十分画面に見入ることができた。これは、韓国側の北朝鮮に対する理解が、格段に進んでいるということを感じさせる。

韓国での北朝鮮理解が進んだのは、私見によれば、1991年に『月刊朝鮮』が新年号別冊付録で、北朝鮮からの亡命者の証言を中心に北朝鮮の実情を報じて以来のことだと思われる(日本語版は、黄民基訳『北朝鮮 その衝撃の実像』,講談社刊,1994年)。これは、いわば一つの事件であり、それまでの、同族としての北朝鮮、共産主義国としての北朝鮮といった見方から、事実に基づいて北朝鮮の実像を見る、ということがようやく韓国でも始まったといえよう。

それから10年。数多くの亡命者が、北朝鮮から韓国を目指すという流れが日常化している(それでも、時に韓国から北朝鮮に亡命する、という事例があるのが、朝鮮半島の不思議の一つである)。そうした亡命者の証言により、韓国の北朝鮮に対する認識は、格段に進んだ。在日朝鮮人が、北朝鮮に「帰国」した親族を通して、40年前から認識していたことを、今にして韓国でも共有できるようになった、ともいえる。

『JSA』の話の内容は、現実にはありえない南北兵士の人間的な交流という、まったくのフィクションである。しかし、話の展開に、それなりのリアリティーを感じることができれば、フィクションによってこそ浮き彫りにできる真実というものがある。この映画は、巧みな話の展開で、なるほどこういうことがあってもおかしくないなあ、という気にさせる。数多くの笑える場面があり、映画そのものを十分楽しめた。2時間近い映画を観終わって後、筆者は、なぜか涙が溢れてきてしかたがなかった。

事務局より
◇研究資料センターが発足して一年が過ぎました。部落史編纂事業が中心だった京都部落史研究所から、図書室の一般開放、ホームページやこの「Memento」での情報提供を中心とした研究資料センターへの移行ということで事務局もとまどうことが多い一年でした。

◇最近になってようやく当センターの存在も知られるようになり、研修の依頼や問い合わせが相次いでいます。又、「インターネットでさがしました」と、多くの学生さんがレポートやゼミ発表などの準備で調べに来られています。外への宣伝ということではやはり、ホームページの力は大きいようです。

◇ということで、ホームページのトップを衣替えしました!カエルの声も涼しげな夏向きの動画になっています。是非御覧下さい。又、コンテンツに「図書情報」欄を新設しました。内容は ※新着図書一覧(月1〜2回更新予定) ※所蔵図書データベース(近日公開予定) ※受入逐次刊行物一覧(受入雑誌のタイトルと発行所の一覧です) ※逐次刊行物目次情報(月1〜2回更新予定) ※部落史関係論文データベース(近日公開予定)となっています。できるだけ新しい情報を提供できるよう、「人権関係テレビ番組情報」(2週間毎更新)と共に更新作業に励みます。インターネットを利用されていない方も、最近は図書館などで無料で利用ができるようになっているようです。(京都府立図書館のマルチメディア閲覧室ではインターネット情報閲覧ができます。)是非、研究資料センターホームページ(www.asahi-net.or.jp/~qm8m-ndmt/)をのぞいてみてください。

◇前号でお知らせいたしました「資料説明会」を5月12日に開催しました。参加者は大学生や学校の先生など16名で、灘本所長が資料構成及び利用方法について詳しい説明をした後、参加者各自の研究テーマ等の交流や図書資料を実際に利用していただきました(参加者には『京都部落史研究所所蔵図書目録』のお土産付でした)。今後も、ご要望があれば開催する予定です。

◇京都部落史研究所時代から事務局を担っていただいてきました前川修さんが6月末で退職され、兵庫部落解放研究所に移られました。置き土産となりました前川さん製作の京都の部落史に関するパネル展示は、御好評を得ています。是非御覧になってください。

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